No.433
令和5年4月27日(木)晴れ
ここ数日、
雨が降り、
少し寒くなっていましたが
今日はお天気も回復し
暖かくなりそうです。
先日、
奈良の興福寺に行って来ました。(^^)
以下、ウキペディアより
興福寺は、
奈良県奈良市登大路町にある
法相宗の大本山の寺院。
山号はなし。
本尊は中金堂の釈迦如来。
南都七大寺の一つ。
藤原氏の祖・藤原鎌足と
その子息・藤原不比等ゆかりの寺院で
藤原氏の氏寺であり、
古代から中世にかけて
強大な勢力を誇った。
「古都奈良の文化財」の一部として
世界遺産に登録されている。
南円堂(本尊・不空羂索観音)は
西国三十三所第9番札所、
東金堂(本尊・薬師如来)は
西国薬師四十九霊場第4番札所、
菩提院大御堂(本尊・阿弥陀如来)は
大和北部八十八ヶ所霊場第62番札所
となっている。
また、
境内にある一言観音堂は
南都七観音巡拝所の一つである。
創建
藤原鎌足夫人の鏡王女が
夫の病気平癒を願い、
鎌足発願の釈迦三尊像を本尊として、
天智天皇8年(669年)に
山背国山階(現・京都府京都市山科区)で
創建した山階寺(やましなでら)が
当寺の起源である。
壬申の乱のあった
天武天皇元年(672年)、
山階寺は藤原京に移り、
地名の高市郡厩坂をとって
厩坂寺(うまやさかでら)と称した。
和銅3年(710年)の
平城京への遷都に際し、
鎌足の子不比等は
厩坂寺を平城京左京の現在地に移転し
「興福寺」と名付けた。
この710年が
実質的な興福寺の創建年といえる。
中金堂の建築は
平城遷都後まもなく開始されたものと
見られる。
その後も、
天皇や皇后、また藤原氏によって
堂塔が建てられ、
伽藍の整備が進められた。
不比等が没した
養老4年(720年)には
「造興福寺仏殿司」
という役所が設けられ、
元来、
藤原氏の私寺である興福寺の造営が
国家の手で進められるようになった。
天平10年(738年)3月28日には
山階寺(興福寺)に
食封千戸が朝廷から施入されている。
国宝指定されている仏像の
約15%パーセントが
興福寺の所蔵になっています。(^^)
その中でも有名で人気があるのが
八部衆の阿修羅像(あしゅらぞう)です。
(興福寺ホームページより)
今回、
久しぶりに興福寺の阿修羅像が観たくて
訪れました。(^^)
仏像に若い人のイメージは
あまりないと思いますが
興福寺の阿修羅像は美少年で有名です。
三面六臂の仏像で、
3つの顔と6つの腕が特徴です。
3つの顔は
それぞれ微妙に表情が違います。
右は幼少期の顔、
左は思春期の顔、
正面は青年期の顔とされています。
綺麗なお顔で
スタイルも抜群です。
やっぱり
いつ見ても カッコイイ!!
キン肉マンに登場する
アシュラマンと比べると
当たり前ですが、
全然違います。(^^)
ちなみに
八部衆とは
インドの神さまを
仏教に取り込み守護神としているので
異形の神の姿をしています。
ちなみのちなみに
興福寺の八部衆は
阿修羅(あしゅら)
五部浄(ごぶじょう)
沙羯羅(さから)
鳩槃荼(くばんだ)
乾闥婆(けんだつば)
迦楼羅(かるら)
緊那羅(きんなら)
畢婆迦羅(ひばから)
”乾漆八部衆立像”として
国宝に指定されています。(^^)
興福寺には
数多くの国宝が展示されていますので
興味のある方は
是非とも足をお運び下さい。
近くに春日大社や東大寺もあります。
奈良公園の鹿も
恐いくらい? (^^)
たくさんいますので
ご家族でお出かけになっては
いかがでしょうか?
国宝等を鑑賞した後、
思わず
阿修羅像のTシャツを
購入してしまいました。(^^)