No.400
令和4年7月15日(金)曇り時々雨
10日ぶりの投稿です。(^^)
今週は雨の日が多く
結構強く降った地域もありました。
そして
新型コロナウィルス感染者数も
ここに来て
かなりの増加傾向で
ちょっと気分が滅入りそうですが
気分を変えて
元気にブログ行きます!(^o^)
今回は度々、
ご紹介させて頂いている
人間学を学ぶ月刊誌『致知』より
最新号2022年8月号
特集「覚悟を決める」
連載記事の
東洋思想研究家の田口佳史さんの
「四書五経の名言に学ぶ」から (^^)
「温故知新」の語源となった
故(ふる)きを温(たず)ねて
新しきを知る。
以(もっ)て師 為(な)るべし
『論語』の“為政第二”に
収められている章句です。(^^)
「温故知新」は
誰もが知っている言葉ですが
こういう言葉こそ
俗にいわれていることが
そのまま正しい解釈として
定着しがちだから
要注意だと
田口先生はおっしゃいます。
漢文は
漢字の連結によって成り立っているので
一文字一文字に多くの意味が
含んでいる場合が多いからです。
「温故」の「温」は
「たずねる」となっていますが、
通常は
「訪ねる」「尋ねる」「訊ねる」
となるところが
「温ねる」
何故「温」を用いたのか?
「温」を辞書で引いてみると、
「あたたかい(温室)」
「おだやか(温厚)」
「たいせつにする(温存)」
「おさらいする(温習)」
とあります。
そもそもの意味はと調べてみました。
「肉をぐったりと長い間煮つめて、
肉スープをつくること」
とあります。
そうか、
グツグツと長い間煮つめる
というのが本意だったのです。
何しろ古典や典籍は、
「いつまでもいつまでも
血肉になるまで煮つめるべし」
ということが言いたかったのでしょう。
そこで「知新」となります。
知新とは、
新しいことが生み出されるという意味です。
したがって新しいことというのは、
古典の知恵を煮つめることによって
得られるのだといっているのです。
そして続く言葉の
「以て師為るべし」
の解説に
石田梅岩の言葉が掲載されていました。
「温故とは、
師から教わり学ぶこと。
知新とは、
自分で工夫考案して新しいことを
発明することだ。
発明ができたということは、
学んできたことが、
すっかり身に付いたということになる。
そのようになれば、
如何なる問題にも応じることが
出来るようになるから、
窮するということがなくなるのだ。
これを以て師となることができるのだ」
といっています。
なるほど!
とてもわかり易い解説ですね。(^^)
論語と言えば
論語の師・名古屋のSさんから
学んでいますが
講義形式ではなく、
ひとつの章句に対して
40冊以上の解説本の中から
わかりやすく
多角的に理解を深めやすいように、
解説して頂いています。
『論語』全512章を
1章も飛ばさずに
ひとつずつ丁寧に解説して頂いていますが
この章句の解説の時は
まだ学んでいませんでした。(ー_ー)
この章句は
“為政第二”の11番目の章句で
私が学び始めたのは
“為政第二”の16番目の章句からです。
ただ、
テキストは頂戴していたので
改め読み返しました。
すると
今回の「致知」に掲載されていた
田口先生の解説にあったようなことが
書かれた解説文がありました。(^^)
吉川幸次郎先生の
『論語』(中国古典選)より
温故:故きを温ねるの「温」とは、
語源学家の説によれば、
肉をとろ火でたきつめて、
スープをつくることだという。
この章の孔子の言葉は、
温故而知新、可以為師矣であり、
温故知新ということが
教師の資格となっている。
故とは過去の事象、
歴史の意味といってよいであろう。
歴史を習熟し、
そこから煮詰めたスープのように
知恵をまず獲得する。
そうしてかく歴史による問段を認識する。
それでこそ、人の教師となれる。
人の教師となるほどの人物は、
そうでなければならない。
田口先生は
人を指導する立場にいる人は
皆師であるべきで
家庭でいえば父母、
職場でいえば上司が
自分の子供や部下を
一人前の人間に育てる
「師」
という役割を背負っていると
おっしゃいます。(^^)
煮詰めたスープのように
知恵をまず獲得する。
「温故知新」
に励みたいものです。(ー_ー)
いつも長原整骨院のブログを
ご覧いただきまして
ありがとうございます。m(_ _)m