No. 138
令和元年8月7日(水) 晴れ
ブログ再開後、
一発目は本のご紹介です。(^^)
わたしのせいじゃない
ーせきにんについて―
レイフ・クリスチャンソン (文)
にもんじ まさあき (訳)
ディック・ステンベリ (絵)
訳者から
この本はスウェーデンで
生まれました。
日々の暮らしの中の
ささやかな
ちいさな感動を
見逃すことなく伝えてくれる
そんな本です。
生きることがつらい時
そっと手にとってください。
愛と希望と勇気と夢が
あなたの中にふくらんで
いきますように。
この本は
このブログでも
度々ご紹介させていただいている
「みやざき中央新聞」
の中の記事で紹介されていました。
過去の社説の記事で
”魂の編集長”
水谷もりひとさんの
1998年9月7日号の社説を
転載しています。
その中で
「わたしのせいかもしれない」
を取り上げていました。
以下、
水谷編集長の記事を一部抜粋します。
1人の男の子が泣いている。
その子の後ろに14人のクラスメイトが立っていて、
ページをめくる度に、
1人1人が
「彼が泣いているのは私のせいじゃない」
と弁解している。
ある男の子は言う。
「始まった時、
見ていなかったから
どうしてそうなったか僕は知らない」
別の子は言う。
「僕は怖かった。
何もできなかった。
見ているだけだった。」
言い訳は続く。
「大勢でやっていたのよ。
1人では止められなかったわ」
「始めたのは私じゃない。
他のみんなが叩き始めたのよ」
「その子は一言もしゃべらなかった。
僕たちを見つめていただけだった。
叫べばいいのに」
そしてこう続く。
「だからわたしのせいじゃない」
14人の弁解が終わった後、
次のページをめくると、
戦争の生々しい写真が現れる。
敵の兵士に囲まれた1人の青年が目隠しされて座っている。
銃殺される直前の写真だ。
さらにページををめくると、
煙突から猛烈に煙を吐き出す工場の写真、
原爆の写真。
そして飢餓で苦しむアフリカのどこかの国の写真と続く。
そしてこの本のタイトルが出てくる。
「わたしのせいじゃない」
この記事を読んで
この本を読んでみたいと思い
すぐに購読しました。
昨日、
8月6日は広島に原子爆弾が投下された日。
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分
人類史上初の都市に対する核攻撃を実践使用した出来事です。
当時の広島市の人口、推定約35万人のうち
9万~16万6千人が被爆から2~4か月以内に死亡し、
原爆投下後の入所被爆も含め56万人が被爆したとされています。
3日後の8月9日には長崎にも原爆が投下されています。
広島にはウラン型、
長崎にはプルトニウム型
異なる種類のものを投下しています。
これは何を意味するのか?
広島の原爆死没者慰霊碑には
「安らかに眠って下さい
過ちは繰り返しませぬから」
この碑文には主語がなく
度々論争になっているのも事実です。
「『過ち』は
誰が犯したものであるか?」
サンフランシスコ講和条約発効後の
1952年8月2日
広島市議会において
当時の浜井信三広島市長は
「原爆慰霊碑文の『過ち』とは
戦争という人類の破滅と
文明の破壊を意味している」
と答弁しています。
戦後74年
戦争を経験した世代が少なくなっていく中
令和の時代になり
未来の世代にどう伝えていくのかを
真剣に考えないといけませんね。(>_<)
多くの犠牲があり
今があること、
生かされていること。
いつも長原整骨院のブログを
ご覧いただきまして
いただきまして
ありがとうございます。m(__)m